それはそれは、不思議な体験だった。
目の前で命がけで(もう死んでるから意味のない命だが)じゃれ合っている息子と甥っ子を見るのにも飽きて、何の気なしに、空を仰ぎ見たときだ。
地獄の空は「空」なんて言えるもんじゃなくて、どちらかというと広すぎる暗い天井といった感じだ。少々、高く突き抜けすぎた感はあるが。
どちらにせよ、それが予想の範囲をあまりにも超えた出来事だったことに変わりはない。
地上で数十年。地獄に来て・・・・何年だ?
空から気をぶつけられることはあっても、人間が――それも女が降ってきたのは、さすがの俺にとっても初体験だった。
「うわっ、何今の・・・・、・・・・・・バーダック。何俺に黙ってそんないい女捕まえてんの?しかも息子含む血族の目の前で堂々とそんな大胆な」
「黙れ糞餓鬼。」
ソイツは見事俺の上に、寸分のずれもなく、落下してきやがった。それはもうまさに「胸に飛び込んでくる」という表現がぴたりと当て嵌まるような落ち方で。
そこまで正面から向かってこられちゃ避けるに避けられねぇ。衝撃で後ろに座り込みながら抱きとめて。
落ちてきたはいいもののぴくりとも動かない女の頬をぺちぺちと軽く打った(これが男なら腹に蹴りの一つや二つは確実だ)
「おい、コラ。起きろ。」
「・・・・・・ぅ・・・・・」
腕の中でゆっくりと顔を上げた女に名前を問うと、意識が朦朧としているのだろう、おぼつかない声で小さく「・・・・・・、です。」と答えた。
地獄に落とされる女にしては珍しい、端正な顔立ちにターレスがひゅぅ、と口笛を吹いたのが聞こえて。
と名乗る女はぱちぱちと数度瞬きをして焦点を合わせ、たっぷり30秒かけて自分の状況を確認してから、慌てて俺の上から飛びのいた。
「よっ、と、ほっ」
『戦闘は苦手・・・っていうかそんなのやったことないよ。せいぜい喧嘩程度で。』
とは、つい数日前に目の前のこの女が言っていた台詞だが。今のこいつの動きを見ているとこの言葉の信憑性が相当疑われる。
地獄のメインといえば、針山と血の池。今俺たちがいるのは、メインコースの一つ、血の池だ。
血の池のど真ん中にはばかでかい鏡が浮かんでいる。
そこに現世の様子が映し出されるだとか、そこから現世に戻れるだとか様々な噂が飛び交っているが――事実は定かではない上に確かめる術も、勿論確かめるつもりもない。
俺たちにとっては、結局それはただの単なる「鏡」にすぎねぇ。
血の池には鏡の他にも物質が浮いている。その鏡に向かうように続いている、小さな飛び石だ。
これが意外と足場として役に「立たない」らしく、何とか鏡にたどり着こうと悪戦苦闘の末に結局血まみれになって挑戦の幕を閉じた奴らも何人も見てきた(最も、サイヤ人には全く関係のない障害だが)
それを、今。
は軽々と飛び乗り飛び越え、簡単に鏡までたどり着いてしまった。本当に軽々と、だ。
身のこなしだけで戦闘に慣れていると断定できるわけじゃない。
それにしても、現世で養った戦闘に関する直感、もしくはその直感の記憶が、彼女が「単なるか弱い非戦闘員ではない」と告げていた。
「お前さー・・・・」
「んー?」
「・・・・・・いや、何でもねぇ。」
鏡を覗き込んでいたは一度不思議そうな顔をこちらに向けたが、「何でもないの?」と言いながら軽く首を傾げてまた鏡を覗き込んだ。
何でもないわけではなかったが、何かあるわけでもない。
実際、に戦闘が可能だろうが不可能だろうが、特にこんな死後の世界では、俺には全く関係のないこと。
ただ妙に引っかかるのは、鏡を覗き込む年齢不相応な無邪気な好奇心の表情に、何かの面影が見え隠れしていることだ。
「おいターレス待っ、」
「あっ、何二人でデートしてんだよ!!!!」
・・・・・うるせぇのが来た。
デートって何だデートって。こんな血生臭いところでか?アイツの趣味を疑うぜ、全く。
空からやってきた二人は勿論俺の上に落下することもなく、一人はと同じ鏡の上へ、もう一人は俺の隣へと降りてきた。
「あ、ターレスとラディッツだ。」
「おー。急に二人でいなくなるから吃驚するじゃん。」
「あは、ごめんねぇ。」
くすくすと笑うにはさっきの無邪気な表情はもうなくて、単純な笑顔だけが残っていた。
ついさっきはあの年齢不相応な表情に見覚えがある気がしたが、そうすると今度は今のの表情にも――つまりそのものに見覚えがある気がする。
しかしにはあのサイヤ人特有の尾がついてねぇ。ってことは、別の惑星の・・・・おい、まさか俺が殺した奴じゃねぇよな?
「・・・親父、」
「あぁ?」
「から何か聞いたのか?」
「あ?何かって何だよ。」
俺としては至極真っ当な返答をしたつもりだった。にも関わらず、我が息子は驚いたような呆れたような・・・まぁ所謂アホ面というやつで俺を見据えていた。
「親父っ、まさかマジで気付いてな・・・・・、」
声が荒だってきたところで、ラディッツは言葉を切った。
「何だよ。」
「・・・・いや、何でもねぇ。俺の勘違いっつーか・・・・うん、まぁ兎に角何でもねぇよ。」
我が息子ながら理解できねぇなと思った時、丁度と目が合った。
ふわりと笑うなんて可愛いもんじゃなく、へら、と気の抜けた笑顔を返すのがだということが最近わかってきた。
・・・・・・・・本当に、それがわかったのは最近か?
「何やってんだ、こんな夜中に。」
「うわっ、」
突然声をかけられて驚いたらしい、はびくりと肩を上げた。
遠くのほうでは獣の呻き声のような音がしている。気付けばいなくなっていたを俺がわざわざ探しに来たのは、紛れもなくあの声の主と、それからあの餓鬼二人のせいだったりする。
『おい、は?』
『しらねぇよ。ターレス、お前本気でに惚れてんのか?いい加減うぜぇぞ。』
『ちっげぇよ、そうじゃなくて・・・あ、いやは好きだけど・・・・一人だと危ないんじゃねぇの、て言ってんの。』
『はぁ?何を今更、』
『あー、親父しらねぇのか?今堕ちて来た奴がえらい凶暴で、隔離区に行く筈が途中で脱走したんだと。だからちゃん一人じゃやべぇんじゃねぇの、ってことだよ。』
結局、二人から散々探して来いと言われ、半分眠りかけていた体と意識を無理やり起こしてを探しに来たってわけだ。
そんなに言うんならお前らで探しに行けという言葉は呑み込んで。
言ったところでどうせまた何やかんやと屁理屈をこねるだけだろうし(特にターレスの野郎はな!)
何より、が全く心配じゃなかったという事実はどこにもなかったからだ。
「また鏡覗いてんのか。」
「うん。」
「飽きねぇな・・・・」
「だってね、この鏡、変化してるんだよ。」
大きな鏡の上にしゃがみこんで、じっと見つめている彼女。俺もその隣にしゃがみこんで、彼女の言葉の意味を知るべく鏡を覗き込んでみる。
「あぁ・・・渦のことか。」
「知ってるの?」
「知ってるっつーよりは・・・前に見たことがある、だな。」
鏡とはいえ、単純にその正面にあるものを映すだけではない。まるでぐるぐると渦を描いているような不気味な鏡の正面に立っても、見えるのは歪んだ己の形だけ。
その鏡を見つめながら、じゃぁこの渦の理由は知らないんだ、と言ったは、残念どころか寧ろ嬉しいといった声色だった。
自分の知らないことに出会えることが、知らないことについて考えることが、その謎を自分で解き明かすことが嬉しいというような。
研究者が研究材料を見つけたような、そんな横顔。
―――研究者、だと?
「・・・・・・・っ、お前・・・・・」
思わず目を見開いた。見開いた途端、頭の中に一気に記憶が流れ込んできた。
『バーダック、珍しいものがあったらついでにそれも持ってきてね!あ、間違っても敵さんの生首はいらないから!』
『・・・・お前、本業医者なんじゃねぇのか?』
『違うよ、あ、いや一応本業医者ってことにしてるけど、私の興味が一番向いてるのは医学に限ってないよ。』
『上のお偉いさんには聞かせらんねぇな・・・・ついでに、出征の度に物強請るのもやめろ。』
『強請ってないよ!お願い・・・・うん、これは単なるお願いだよ。』
『・・・・お前、遠征先の怪我人治療するとき、自分が欲しいもん取ってきた奴から治療してやってるだろ。』
思い出した。そうだ、思い出した、だ。メディカルセンターのドクターの一人、。
女にも関わらず随分と活躍しているらしいことと、何より尾を持たない容姿、つまり「惑星ベジータ以外からやってきた」生物であるにも関わらず隠れもせず堂々と生き続けることが出来る職についているということが珍しく、遠征の多かった奴らの間ではそれなりに有名だった。
どういった経緯でこいつが惑星ベジータにやってきたのかはわからない。
脅されたか、誘拐されたか・・・兎に角彼女はあの惑星で俺たちサイヤ人のために医術を施していた。
「医学も面白いけど、もうちょっと色んなこと研究したいなぁ」とは本人が漏らしていた本音らしい言葉だが、成る程あの好奇心に満ちた表情はまさに研究者らしいと言える。
「・・・・バーダック?」
驚きの余りを凝視していると、さすがに居心地が悪くなったのか不思議そうに俺の名前を呼んだ。
「お前・・・・だな?」
「は?」
「惑星ベジータで、医者やってた・・・・」
そこまで言うと、ようやくは「あぁ、」と納得したようだ。
それから笑って――それはにへらとした笑みではなくふんわりとした笑みだったが――そうだよ、と肯定した。やっと気付いたの?とも。
「何で言わなかった。」
「いやぁ、いつ気付くかなぁ、って。」
「あのなぁ・・・・」
俺がすぐに気付けなかった最も大きな理由の一つは、やはり長い歳月の流れのせいだろう。
間違っても俺の記憶のせいではない。多分。
俺が生きていた頃のはまだ20に満たない、恐らく17歳ぐらいだっただろう。
あれから何年経ったのかはわからないが、今のはあの頃と比べると大人びて、ゆうに20歳は超えている筈だ。
にも関わらず、時折見せる無邪気な表情のせいで俺は戸惑ったってわけだ(結果的に、惑星ベジータの医者としてのを思い出すことが出来たが)
恐らくあの、俺の上に落下してきたときも。はわかっていてやったに違いない。
最も、の予定としては「もう少し上手く着地する」つもりだっただろうけどな。
ついでにあの身のこなしの軽さも、元惑星ベジータにいたとなれば当然だ。医者とはいえある程度の戦闘能力がなけりゃあそこではやっていけねぇ。
「ったく・・・・ラディッツの野郎、気付いてやがったな。」
「ラディッツもターレスも最初からわかってたよ?多分。」
は、何でバーダックだけそんなに気付かないかなぁ、と呟いた。
その事実が気に入らなくて、ぶっきらぼうに「俺が一番最初に死んだからじゃねぇのか」と返した。それがまともな理由じゃないことは承知しつつ。
「あ・・・そっか。そうだよね・・・・・ごめん。」
「何で謝る。」
「いや、何となく・・・・」
あの日のことを思い出しているのか、声は少し沈んでいた。
サイヤ人ではないは、恐らく惑星が爆破されるより先にどこか別の星へ送り込まれたか、もしくはあのときフリーザと共にいたのか・・・
聞いてみなければわからないが、過去が過去だけにそれを聞くのは憚られた。まぁいい、どうせ地獄暮らしは先が長いんだ。
それにしても何故こうも見事に俺は気付かなかったのか?
延々とそんなことを考えていると、が唐突に言い出した。
「ねぇ、私いい女になったと思わない?」
「あぁ?」
自信がある女は嫌いじゃねぇ。が、の笑みはそんな笑みじゃなくて・・・きらきらした、単純に会話が楽しくて仕方がないといった表情だ。
「何言ってんだ、急に。」
いい女かどうかは兎に角として、綺麗になったとは思う。元々の造りが悪くなかったのもあるだろう。
の意図がわからず眉を顰めると、はくるりと顔をこちらに向けて、言い放った。
「これでも生きてるときは、アイツの綺麗な横顔は死んだ誰かを思ってるからだ、とか色々言われてたんだからね!」
そう言っては無邪気に笑ったが、確かに、その笑顔の中に見える艶やかさは俺が初めて目にするものだった。
甘くなくて申し訳ありません・・・このままいけば甘くなるかな、程度で(笑)
バーダックのお相手はやっぱり年下ヒロインが好きだなぁ。