船頭に微かな人影が見える。船が僅かに揺れる度にゆらりゆらりと影が揺れる。頭の天辺から爪先までが黒く、腰元でぼんやりと紫色が揺れる。


「何してやがる。」


高杉が足を進めると、船頭に突っ伏していた人影が緩慢に身体を起こした。隣に立ちその横顔を見れば、いつになく覇気が無い。


「・・・酔った・・・」

「クク、死神がざまァねェな。」


上空は地上付近に比べれば風が強く揺れも不規則だ。ここ数ヶ月程は空に上ることもなく地上で活動を主にしていた鬼兵隊が船を発したのは昨日。久々の空旅には情けなく体力を奪われていた。


「その様子じゃ、酒も飲めねェか。」

「喧嘩売ってるの・・・?」

「いい酒が手に入ったんだがなァ、残念だ。」


そうは言いながらも、高杉はほんの少しも残念そうに感じられない。寧ろ楽しそう、絶対楽しんでる、人の苦しむ姿がそんなに面白いんですかコノヤローとは心の中で悪態をついた。


「やっぱり人間は地に足つけてこそよね・・・」

「今日は風が強いからな。おまけに月も星も出ちゃいねェ・・・いい夜だ。」


どこがいい夜なんだろうとは思ったが、は口には出さなかった。自分とて、船酔いにさえやられていなければこの真っ暗な空を心地よく感じていただろう。


「それより、さっきの・・・何よ、死神って。」

「あ?知らねェのか、おめーの呼び名だ。」


上下黒い甚兵衛に紫色の大きな帯。高杉ほどしばしば見かけるわけではないが、全く姿を現さないわけでもない。鬼兵隊に所属する数少ない女であるその人物は、気付けばいつも高杉の隣に立っている。鬼兵隊の主が鬼のように強いのであれば、その隣に堂々と立ち続ける彼女は何者なのだろうか。謎が謎を呼び以前からは噂の的ではあったが、一度鬼兵隊の面々の前で薙刀での戦闘を披露してから、「あの鬼の隣に立っているのは死神だ」というのが定説になりつつあった。


「何ていうか・・・何ともコメントし辛いわね、鬼と死神って・・・」

「時代が変わっても、人間の思考回路ってェのは変わらねェもんだな。」


高杉は楽しそうに口端を上げた。
死神、それは懐かしさと一抹の切なさを含んだ通り名だった。戦場にいた頃から女というのは何かと珍しがられたものだが、それに増して刀だらけの戦場で振り上げられる薙刀は一層目を引いた。
鬼に死神。日本古来から恐怖として敬遠される存在になぞらえられるとは、攘夷志士としては随分と光栄なことではないか。


「そうね、そう思えば・・・悪くはないわね。」

「だがその死神とやらが魂持ってかれそうなツラ晒してるんじゃなァ。」

「・・・・・・・・。」

(もう少しこう・・・何かないのかしら。例えばそう、心配するとか。)


この程度のことで心配されていてはたまらないと思う反面、こうも馬鹿にされると少し腹も立つ。しかしそれも結局は、情けない自分の姿への苛立ちが矛先を変えただけのこと。自覚しているだけに文句をつけるわけにもいかず、はもう一度顔を伏せた。


「寝てたほうがいいんじゃねェのか。」

「眠れないのよ、気持ち悪すぎて・・・・」

「そうかい、そりゃ重症なこって。」


ふー、と紫煙を吐き出す音がする。それからゆっくりと背中に大きな手が置かれて、は横目で高杉を見た。


「何?」

「いい加減中に入って、俺の部屋に来いや。」

「・・・あの、中にいるより外で風に当たってる方が楽だから、私ここにいるんだけど・・・・」

「ほォ、じゃぁ来ねぇんだな?」


ニヤリと笑って、高杉は船頭を離れ船内へと足を進めていく。


「折角俺が寝かしつけてやろうと思ったんだがなァ・・・」




高杉の手に抱かれて眠ることが何よりも幸せで心地良いことも、一見危うそうに聞こえる台詞を吐きながらも本当に自分が辛い時は手を出してこないことも、身を以って知っているは慌てて身体を起こし高杉の後を追った。