窓の外の月が視界に入り、は手を止めた。
惑星リーンの姫が攫われた。
それは近隣の星々に少なからず影響を与えたが、だからといって惑星リーンへの要求がなくなるわけでもない。
外交は滞りなく進めなければならなかったし、少し前から手をつけていた条約の改正についても考えなければならない。
多少の猶予は許されても、やはりは自分の権限が許すだけの仕事を行わなければならなかった。
―――嗚呼、我らが愛しい姫君よ、貴方は相変わらず私に面倒をかけることに卓越しているようだ。
―――私の権限ではどうにもならないことが沢山あるというのに、一体どうしろとおっしゃるのですか。
はゆっくりと月を見上げ――願わくばせめてこの冷たく温かい光が愛しい彼女の行く道を照らしてくれれば――、一つため息を漏らした。
囚われざる者]『真』
鼓動が早くなり、体中が熱を持つのがわかった。
それなのに身体はがたがたと震えて、自分で自分の肩を抱いたぐらいではどうにも出来なかった。
座り込んだせいで尻が冷たかったが、今のはそれにも気付かなかった。
もしかしたら自分にはこの石の地面以上に冷たい血が流れているのではないかとさえ思えて、身体の震えは止まることを拒絶した。
トランクスは、扉の外にいた。重々しい黒い扉を背にして、泣きたいような笑いたいような、狂気に近い気持ちで薄暗い空を眺めていた。
何事かと訝しがるを引き連れて、聖堂とでも呼ぶべき荘厳なあの居間からそう遠くは無いこの場所へやって来た。
見た目どおり重圧のある扉を開けると、中には洞窟のような空間が広がっている。
トランクス以外の生命を尽く受け入れないその洞窟は、が足を踏み入れた途端、うっすらと青い光をたたえ始めた。
その光にトランクスは確信したのだった。やはり彼女には知らせなければならないのだ、と。
「え・・・!?」
真っ暗闇に突如現れた光には驚きを隠せなかった。
「貴方に・・・・貴方には、知ってもらわなければいけません。」
トランクスは、努めて冷静に、言った。
本当は知らせたくなどない、知らずに済むのならこんなことは誰も知らないほうがいいに決まっているのだという言葉は押しとどめて。
「壁沿いに指を這わせてみて下さい。大丈夫、光に害はありませんから。」
「こう・・・・?」
は指示通りにした。
指を這わせると徐々に文字が浮かび上がってくる。
は恐怖に目を見開いた。
不思議だとは思っていたのだ。
戦闘など殆ど不必要なあの惑星に生まれた自分が、何故こんな力を持っているのか。
自分の瞳がある条件を満たすと赤く変化すると初めて知ったのは、もう随分昔のことだった。
そのときは何も気付かず、何も感じなかった―――否、気付かないフリをしたのだ。そうしなければ得体の知れない不安に押しつぶされてしまいそうだったから。
あの恐ろしい男に出会った時から、疑問は膨らみつつあった。
戦いたくない。
その感情に嘘偽りはないはずなのに、戦えば、必ず勝利を手にする自分。
戦闘訓練を受けたことはないのに、何故。この赤い瞳が持つ意味は一体?
此処に答えはあった。予想できたが求めてなどいなかった答えが、此処に。
――汝、真実を司る子よ
――汝、真実を求めよ
――汝、真実を見極めよ
――真実とは我と共に在り
――真実とは我也
多くの文字の中で、それは一際「真実」を表していた。
は、道具で、武器で―――殺人兵器。基より他の生命を殺すために創られた存在だった。
冷たい石の壁には長々と歴史が綴られていたが、つまりはそういうことだ。
長い歴史の記述に惑わされて、そんなことに気付かなければ良かったのに。はそんな見当違いのことを不意に考えた。
この星に降り立ったときにたちを出迎えた、と同じ赤い瞳を持つあの集団。
が無意識のうちに彼らを拒絶したのは、が彼らと同族だからであり、それは丁度磁石の同じ極が反発しあう様に似ている。
もう、随分昔のことである。
現在ヒト科に分類される生物が存在するのは地球上に限られたことではないのは全く今更な話だが、彼らは昔は地球上にしか存在していなかった。
けれどヒトという動物はあまりに特殊で、利口で、傲慢で。地球から飛び出してなお生地を求めた。
それはあまりに危険な兆候だった。
全ての均衡を保ち管理する『神様』は、異常な範囲に繁殖していくヒトを野放しにすることを許さなかった。
宇宙中のあちらこちらの星に散らばり進化を繰り返していくヒト。いつ彼らが宇宙を統一させ、世界を管理してもおかしくはなかった。
そこで『神様』は、新しいヒトを創った。ヒトに対抗できるヒト。意思を持たず神の意のままに動く、ヒトの形とヒト以上の能力を持った、兵器。
時に大胆に、時に人知れず、『神様』はその兵器を投入した。
惑星同士の紛争に似せて、突然の襲来者に似せて、或いはまさに神の使いとして――兎に角、宇宙の均衡を崩す危険性が見えたとき、『神様』は兵器を投入してヒトの数を減らした。
それが正しいのか正しくないのかは、にはわからない。
ヒトの傲慢さはもよく知っていた。知っていた、けれど。
「・・・・・・・・・・何で」
何で、何故。あんまりだ。
「どうして、私が・・・・・」
あちらこちらで投入された兵器は、戦いの後に神の元へ還る者とその地に留まる者とに分かれた。
その地に留まった者は監視者として、消去された種族の代わりに新たにその星を耕す種族が、強大な力を持ちすぎないよう見張る役割を受け持った。
そうして地に留まった兵器は、時が経つにつれて数が減り、確かにその血も薄れていった。
しかし、確かに今も存在しているのだ。
戦いが絶えない星にも、戦いなど無縁の平和の象徴のような星にも。その血を継いだ者が、兵器が、確かに。
どうして、それが私でなければならないのか。
涙を流すことも出来ず、は自分の膝に顔を埋めた。
***
嗚呼、何て残酷なの。彼は何て強大で、私は何て無力なの。
感情の読み取り難い、光の角度によってくるくると色が変わる瞳で一点を見つめながら、はごちた。
そんなことを考えても仕方が無いことはわかっている。しかし考えないからといって何か出来ることがあるわけでもない。
屋根の上から見えるトランクスは、とても悲しそうで、苦しそうだ。
「あの女は中か。」
突然の頭上からの声にもは驚かなかった。彼が近づいてきたのを気配で感じ取っていたからだ。
猫に話しかけるなんて意外と可愛いところがあるのね、なんて考えは浮かびもしなかった。
恐らくこの男は知っている。トランクスの役割も、赤い瞳の生まれた理由も、そして自分のことも。
「そう・・・はあの中よ。」
『この姿』になってから、トランクス以外の人間とまともに会話をするのはいつぶりだろうか。もしかしたら初めてかもしれない。
猫が話しているというのに色黒の男は眉一つ動かさず、予想通り何を考えているのかわからない生物だと思った。
「貴方も歴史とやらに興味がある?きっと彼なら・・・トランクスなら、頼めば中を見せてくれるわ。もっとも、洞窟のほうが貴方を拒絶するかもしれないけど。」
ふん、とターレスは鼻で笑った。
「はっ、今更。あそこに書いてることは全て俺が知ってることだ。あの女が中で全てのことを知ったのなら、それでいい。
これからどうするかはアイツが決めることで・・・・・」
なぁ、。
名前を呼ばれて、ははっとターレスを見上げた。
(何で私の名前を・・・)
自分を見上げるアーモンド形の瞳に、ターレスはくっと喉を鳴らした。
「まさか俺が無知のままに此処に降り立ったと思ってるのか?」
―――偶然なんかじゃない。この男は、初めから目的を持って此処へ来たんだわ。