廻
初めて、怖いと、思った。
――――初めて、人を、殺した。
囚われざる者 V『廻』
「殿、ターレス様がお呼びだ。」
扉の外から声をかけられ、静かに彼の名を思い出した。
確か、ダイーズ、と言ったか。
「今行きます。ありがとう。」
は立ち上がり扉を開け、この船の主がいるであろう船頭へと向かった。
「ターレス、」
「・・・・か。来い、お前に渡しておきたいものがある。」
自分がおとなしくしている限り、彼が何かをしてくることはないということはすぐにわかった。
逆に、自分が少しでも妙な行動―――例えば彼の首を取ろうとするとか―――を起こして失敗すれば、それは自分の命と共に母星の滅亡にすら繋がるのだということも。
一つ溜息を吐いてから素直にゆっくりと近付くと、掌に何かを握らされた。
「何、これ・・・カード?」
「特訓部屋に、食糧庫に・・・・この船のあらゆる部屋をソレで開けることが出来る。持ってろ。」
「どうして私に?」
「お前は、例えこの船内でどんなに強い権力を持とうとも――俺を殺す力を手にいれない限り俺に逆らうことはできない。」
何せお前はあの星の主だからな。
その言葉の意味するところに気付き、はぐっとカードを握り締め忌々し気にじっと床を睨みつけた。
「相変わらずそっけねぇな。これでも、俺はお前のことを結構気に入ってるんだぜ?」
「・・・・何?」
「才色兼備、更に戦闘力も高い。ここの華には丁度良いじゃねぇか。」
は、華を愛でる様なターレスの瞳など見たことがないし想像もできない。
氷のように冷たい瞳で見下ろしながら、彼は自分の部下を大勢殺した女に平気でそんな台詞を吐くのだ。
「・・・・貴方、よくわからないわ。」
「そう簡単に手の内を見せちゃ、面白くなるものも面白くならないからな。」
「とりあえず、カードはありがとう。」
「戻るのか?」
「ええ。」
「折角の宇宙旅行だ、どうせなら景色でも見て楽しんだらどうだ。」
「・・・・楽しめるものならとっくに楽しんでるわよ。」
皮肉に笑うターレスに吐き捨てるように言い、は部屋へと戻った。
「・・・・・・・いつまであの威勢が続くか見物だな。」
***
「何を考えたところで、今の私は無力そのものね。」
部屋に戻るなりカードをベッド横へ投げ捨て、ぼすっとベッドに倒れこんだ。
掲げた自らの掌を見つめ、過去と呼ぶにはまだ早い、けれど最早昨日とは呼べないその日を思い返す。
「・・・・汚い・・・・」
あの時、初めて憎しみに駆られると言う感情を知った。
そうして、この体は沢山の血を浴びた。
もしもあの時の自分が、今まで生きてきた自分や今の自分とは全く別離したものであったなら、どれほどに心が軽くなっただろうか。
無論、そんなことはある筈も無い。
それまで暖かさに包まれて生きてきた自分も、恐らくは紅い瞳を露にしていたであろう殺戮者の自分も、こうして今囚われている自分も、全てが『』という存在そのものだ。
―――有り得ないからこそ、身が切れるほどに願うのだ。
もしも、そうであったならば、と。
「・・・・結局、何も守れなかったじゃない・・・・」
今も鮮明に思い出す、全てが変わってしまったあの日。
光と共に消えていった笑顔、血の中で横たわっている見知った顔、自らの手が命を奪う感覚、断末魔―――
幼子を守るという目的のために、血を浴びることを厭わなかった。
しかしその実、心の大半を占めていた感情は『憎しみ』ではなかったか?
「どうして、殺したんだろう・・・・」
呟いた言葉は、誰に届くこともなくただ部屋の中で虚しく響くだけ。
***
「ターレス様、次の星の目処が立ちました。」
「そうか。」
「神精樹の植えるのにも適しています。あと二日もあれば到着するでしょう。」
「到着次第神精樹を植え侵略を開始する。あいつらにも伝えておけ。」
「はっ。・・・・あの、」
「何だ。」
「・・・・・いや、何でもありません。」
「・・・・気になるか。」
ターレスはダイーズの表情を一瞥してから、口端を上げた。
「何故の星に神精樹を植えなかったのか。」
「・・・・・アレは、見るからに豊かな星・・・・・神精樹を植えるには十分すぎるほどの環境だったのではないかと。」
「全くその通りだ。が―――お前、あいつの瞳を見たか?」
「瞳・・・・ですか?」
ダイーズは要領を得ない表情で、相変わらず口端を上げてどこか楽しそうにしている隣の男に目をやった。
「俺に向かってきた時、あいつは赤い瞳をしていた。」
「赤い瞳?」
そういえば、あの星の王家の者には代々そのようなものが受け継がれているという話を聞いたことがある。
「あの女が・・・・」
「俺が見たとき、あいつは全身に血を浴びていた。
今はただの小娘のようなあいつが、憎しみに駆られ、血に塗れそれと同じ色の赤い瞳を露にし―――さながら修羅のようだったぜ。」
果敢にも一人向かってきたの姿を思いだし、ターレスはくっと喉を震わせた。
「あの星を潰さなかったのは、彼女を縛りつけるため・・・・・」
「そういうことだ。」
あのターレスが、たかが一人の小娘を縛りつけるために―――?
何にせよ、誰一人としてこの男の思考を読み切ることなど出来はしない。
ダイーズは思考を打ち切り踵を帰した。
「殿、食事だ。」
「ぁ・・・・」
先程と同様に扉の外から声をかけられ、は慌ててベッドから降り扉を開けた。
「ありがとう。ごめんなさい、さっきから来てもらってばかりで・・・・」
「これも仕事の一つだ。食べたらトレーは外へ出しておけ。」
「あ・・・・・・・・・・ま、待って!」
トレーを渡しそのまま戻ろうとしたところを引き留められ、ダイーズは振り向いた。
その表情には何の色も浮かんでおらず、何かしてはいけないことをしてしまったのではないかと思わずにはいられない。
「ぁ・・・・・ご、ごめんなさい。」
「何か不都合なことでも?」
「あの、そうじゃないんだけど・・・・どうして、その・・・・・私はあなたたちの仲間を殺したのに・・・・・」
彼らには憎しみという感情が存在しないのだろうか。
憎しみに身を委ね唯唯殺戮に身を任せることは?
憎しみに支配された自分は、ともすれば憎んでいた相手より憎むべき存在なのではと恐れ嫌悪することは?
しかし彼に尋ねるのはある意味卑怯なことでさえあるのでは、と、それ以上は言葉を続けられなかった。
「・・・・俺たちは今までずっと、そういう世界で生きてきた。」
途切れた言葉の続きを察したのか、あまり表情を変えないままダイーズは己の生活の一部を話し始める。
「奴らが殺されたのは奴らがあんたより弱かっただけのこと。今更殿をどうこうしようとは思わない。」
「・・・・そう。」
ふ、とは目線を落とした。
弱肉強食。
それが自然の摂理であることはとうの昔から知っていたし受け入れてもいたが、何かが違うのだと痛いほどに心は叫ぶ。
「・・・・・引き留めて悪かったわ、ありがとう。」
がそう言うと、ダイーズは一つ礼をして出て行った。
(・・・・やっぱり、)
薄々感じてはいたが、この違和感は、やはり。
(多分、彼は王族の出ね。)
どういった経緯でこの旅を共にすることになったのかはわからないが、時折見せる侵略者には似つかわしくないあの振る舞いは、間違いなく王家で身につけたものであろう。
彼も自分と同じように人質として囚われているのだろうか?
それとも、あの忠誠の高さから考えると、自ら志願して今はターレスの忠臣としてその使命を全うしようとしているのだろうか。
―――人は、決して揺らぐことをやめぬ人は、その弱さ故に強き者を慕い、それは時として―――
浮かんだのは、遠い記憶に眠っていた真の教え。
血塗られた運命を止める術は、もう、どこにも。
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